孤独と向き合うイギリスと向き合っていない日本

イギリスは孤独担当相を設けて「孤独」という問題に向き合っています。イギリスでは孤独による国家損失は年間320憶ポンドで日本円にすると約4.9兆円にのぼるのだとか。肥満や一日に15本タバコを吸うよりも有害であるという報告も出しています。

 

孤独死という問題にいち早く取り組んでいることに日本もすぐに取り組み、イギリスに学んでいかないといけないのではないでしょうか。

 

少子高齢化がどんどん深まる中、結婚による価値観が問われたりしますが、これを「少子高齢化」という問題に着目するのではなく「孤独」という問題に着目するのであればある一定のくびきにはなるのかもしれませんね。

 

くびきとは縛りというかつなぎとめというか、孤独にならないための作用というか。がんじがらめというのは私は嫌いですが、全くの自由というのも私は好きではないです。というと私の性格に左右されてしまうのですが、自由過ぎず、かといって縛り過ぎずの中間が心理的要素を考えても甲乙考えがあるでしょうけど、良いのかなと。

 

日本はコミュニケーションを訓練するような体制になっていないですから私はそこを教育に取り入れていった方が良いのではないかと思います。英語が喋られないのもそこなんでしょう。

 

このネットで会話する社会が大勢を占める中、実空間での会話の減少。どこかカフェや喫茶店に行っても若者グループがそれぞれがスマホの空間に夢中になって会話を目の前にいる人とせずにネット空間の人とする。あるいはゲームに夢中になって「人」には夢中にならない関係性。これが元凶なのでしょう。

 

でも、会話って難しいですよね。会話ってネタがないと話せないのです。つまり、ネタを仕入れないといけないのです。いろいろな人と話すためには趣味嗜好の幅を広げてさらに深めていかないと。でも、日常いつも会う人には何を話しますか?私は日々何かあったことを話しますね。そのためにダラダラ過ごすのは嫌いですからね。

 

そんなことをしているのが幸せにつながり、孤独をふっぱらうようになっていければと思うのですが。