クリント・イーストウッドの映画「運び屋」を見てきました。

クリント・イーストウッドの映画「運び屋」を見てきました。仕事一筋に生きてきた男が家庭をかえりみずに90才まで年を取ってしまった。自分なりに今まで人生を謳歌したのでしょうけど、その時には家族の心は全く離れてしまった。そんな時に自分の事業は破綻する。

 

今頃家族に向きあうようになったときにはお金はない。そこに「何か」を運ぶだけで大金がもらえる仕事をする。すぐに犯罪行為だと気付くがそれもお構いなしに続ける。ここまで書いて、この男には何もかもが遅いように感じる。

 

人生に向き合って来なかった。今頃向き合っている気がする。その実、最後の最後に今までの分を取り戻すわけですが、最後に「時間だけは買うことが出来なかった」と言っています。

 

違う。時間なんてものは買うものではない。時間とは消費するもの。いかに上手く消費するか。上手く消費すれば思い出となってまたその時間を回想することでいつでも取り戻すことができます。そういうことを考えました。

 

それから、あの刑事は何か見たことがあるとずっと思っていたのですが、この前のレディー・ガガのスター誕生の映画の主演だった人だったのですね。