指導する側と指導される側の言い分

暴力を入れた指導が正しいか正しくないかで言えば正しくない。では必要悪かで言えばというのが今の取り沙汰される問題だと思う。指導者側からしたら取引なのかもしれないことをかんがみると、教えたくもない技術を教えてやっているのだからそれぐらい取引としてしても問題ないだろうという考えに落ち着く。そんなことは心に思っても言わないでしょうけど。

 

では教えられる側が暴力を取り入れないと覚えないということであれば指導側と指導される側どちらに非があるのかという問題に行き着く。指導される側がそこまでしないと上に這い上がれないのだから仕方がないだろうという指導側の主張とそうまでしないと指導される側をのばすことができないのかという指導される側からの主張が交錯するからです。一体どちらに軍配があがるのだろうか?

 

気になるのは指導する側が人によって指導方法を変えているのか?ということだと思う。この選手で言えば暴力を取り入れないで教えた方が伸びると判断した、またはこの選手でいえば暴力を取り入れないで指導したが伸びなくて暴力を取り入れて指導したらぐんと効果があったとか。そんな手法など考えず自分の思うように一貫して同じことを繰り返すだけでしょう?そうであればとてもではないけど暴力を取り入れる指導する側に能力があるとは思えません。

 

といっても暴力を取り入れない手法での指導の仕方をいろいろと考え、アプローチしていかないことにはどっちみちその指導者は能力がなかったことになるでしょうね。