厚生労働省の初試算に国民への愚弄感を感じる。

厚生労働省は65歳で年金をもらう場合と70歳を超えてから年金をもらう場合でどれだけ異なるかの初比較を試算したそうです。65歳からもらう場合をだいたい月22万円で70歳からを33万円となり、1.5倍になるという。

 

この少しカラクリじみた、また70歳超に年金をもらうように誘導するかのようなこの初試算はまたしても国民を愚弄するのかと憤ってしまう。単純計算して65歳から70歳までの5年間を22万円月額でもらい続けたとして5年×12か月×22万円で1320万円をもらえるところ、その5年間を高齢者が働きながらもらえるとは到底思えません。

 

ただでさえ60歳から65歳までの間に給料は減らされるのですよ。そこから65歳から70歳の間の賃金などたかが知れています。そして、70歳を超えてから一体いつまで生き続けられるのでしょう?保険という考えていえばギャンブル性が伴うのも必要なことかもしれませんが、本来であれば在職年金なんて制度で仕事をしている時は年金をもらえないまたは減らされるなんてことをするよりも年齢に達した時に支払ってほしいでしょう?

 

それが老齢年金ではありますが、それが結局長生きするようになったという理由をもって60歳から65歳にまで繰り上げられる始末です。今のこの問題は高齢者にとって悲惨ですが、若い人にとってはもっと終わりの制度となります。もらえないものを払う保険ですから。

弱い立場の日本というもの。

「忖度」という言葉が流行しましたが、日本そして安倍首相が忖度をアメリカにしているからこそ日本では忖度社会になるのでしょう。会社の中間管理職と同じようなものです。社長がトランプ大統領ということになるのか。

 

沖縄県の名護市辺野古の問題もそう、イラン原油の問題もそう、イージスアショア購入の問題もそう、経済連携協定(TPP)からの自由貿易協定(FTA)(物品貿易協定(TAG))の問題もそう。全部そこに行き着く。

 

立場の弱い人、立場の弱い国もそうですが、対等にできるわけもないのは下についている人はよくわかることです。そこに伝統を重んじる日本は変調をきたしているのかもしれません。

 

足元を見られるのは韓国の徴用工の問題もそうでしょうか。以前の国の合意もなんのそのであります。

会話の醍醐味とは?

人ってやっぱり承認欲求が高いのだろうなって思います。他人と話すときに他人の話しを聞き、その人が興味があることを掘り下げるように話すと相手はどんどんとじょう舌になっていきます。おそらく話したかったのだろうという点と今まで話せなかったのではないかという点で承認欲求をくすぐるのだと思います。

 

ただ話を聞くだけでなく私もそれを知っている、あるいは知らなくても興味があるというスタンスでちょいちょい相槌を入れる。そうすると、他人は悦に入ってくる。時には私のことも時期を見て話しを入れたりすると盛り上がる。まあ、基本的には私のことを聞かれたときにしかぶっこみはしませんが。

 

これが会話の醍醐味だと思っています。他人は気分よくなり自分を認めてもらえるという承認欲求を満たす。そうすると、そのことがその人にとっては私を承認しているとことの裏返しになり何でも話しをしてくれるようになる。

 

私はどんなことでも聞きますよというスタンスをすると相手はどんなことでも話しをしてくる。もちろん否定などしない。心を許すということでしょう。会話の中で自分の話ししかしない、あるいは自分の自慢話しかしない人はエゴに浸りすぎで会話ではなく講談になってしまう。会話とはそういうことだろうと思う。

ドラゴンボールとワンピースの違い

news.careerconnection.jp

確かにドラゴンボールは修行をして強くなるという要素がありありとある。しかし、才能という面を否定できない。日本人やナメック星人サイヤ人などである。孫悟空サイヤ人であるから強くなったことを考えると、努力よりも才能の方に重視される漫画である。

 

それとは一転してワンピースは努力する様子はあまり描かれていない。が、それは悪魔の実の能力者と言ってはいるが、それぞれが持つ個々人の個性に向けているからである。それを悪魔の実と偽っているだけである。

 

方や才能と方や個性という違いが私はドラゴンボールとワンピースの違いだと思っています。そしてドラゴンボールは家族を重視し、ワンピースは仲間を重視するのは昔と違って今は核家族化が進んだゆえに加えて繋がりというものが倍増したからでしょう。

 

それにドラゴンボールの特にはじめの方はあの当時の子供たちにとって聖域のような面白さがありましたが、今の若い人にとっては時代背景が違うためそれが面白いとなるかはそうでない気がします。