弱い者に向かう人たち

最近、誰でも良かったと言って殺人にうつろうとする犯罪者がおりますが、たいてい狙っているのは弱い者です。ある者はいじめられて社会にうらみがあったというがなぜ狙うのであればそのいじめた人に向かわなかったのだろうか。この前の新幹線での殺人も近しき者には自殺をほのめかしていたようですが、自殺をせずに他人を殺害した。自殺から逃げたわけですね。

 

児童虐待も弱い子供に向かう。それを適切に対処出来なかったとして児童相談所が責められる構図。障害者施設で何年か前に行われた大量殺人も同じ。理屈ではナチスヒットラーの思想とか何とか言っていましたが、いわば障害を持った弱い人に向かったのでしょう。そんな誰が見ても分かりそうなところに向かうなんて。選別するならば通常人で犯罪ばかりして世の中に有害な人を狙えばまだ胸を撫で下ろせるのに。

 

江戸のかたきを長崎で打つというところですか。これらの事象を考えると、寛容の精神力と精神の寛大さをいかに培うか。日本は教育改革をいろいろと行っていますが、いろいろな迷走もさることながら方向性が間違っているのではないか。役に立つとか立たないとかそこに目がいきます。役に立たせるものを身につけてもそれを使用する人に問題があるのではどうすれば良いと思うのか。