無意識の偏見と伝統

女性に対して無意識の偏見があるから働き方改革を唱えるも女性活用が進まないとする考え方があります。気を使って高齢者に席を譲ったら、まだ私は高齢者ではないと怒るパターンと同じようなものでしょうか。気を使っているのに気の使い方が下手ということで女性が男性は女性の気持ちが分かっていないと怒るのもうなずけますか。

 

でも、女性蔑視していた時代からは飛躍的な進歩ではないか。そういうとそれも上から目線だと言われる。ハラスメントは受け手次第とはいいますが、そのくだりでいえば、はたから見れば男性側のハラスメントとと思えますが、逆にも見えてしまうから怖い。

 

だけど、土俵の女性禁止問題が取り沙汰されましたが、私には何がそんなに禁止にしなければならなかったのか理由が分かりませんでした。伝統?伝統だとしたら、伝統とは何なのだろう?

 

天皇の男系女系の問題では女系容認説を取るのが伝統を守らないことに繋がるのではないかと否定的意見がありますが、この問題に関しては天皇という伝統を守ることの方が肝要なのではないか。

 

以前、文楽補助金廃止問題が浮上していましたが、それによって文楽自体の存続が危ぶまれれば伝統がなくなってしまう。意味を細部に絞ると履き違えてしまうかもしれません。よくよく考えないと。