テレワークと長時間労働・生産性という相反する考え

今の新型コロナウイルスの影響でテレワークの普及が叫ばれていますが、日経新聞の社説では問題点として①長時間労働の防止、②生産性向上という2つの視点を上げています。しかし、私はそれは全くの逆ではないかと思います。

 

テレワークとは離れた場所(テレ)で働く(ワーク)というように場所での拘束から解き放たれることに意義があるのです。”同じ場所に”長時間拘束されることが人間性の開放性が開かれないため、柔軟な考え方はできません。

 

だから、同じ場所での長時間労働の防止はしないといけないですが、違う場所での長時間労働の防止ではない。その点で長時間労働自体の防止ではないとすれば生産性という問題も違うことになります。

 

いわば他の家庭でのしなければならないことなどとの両立ができるという点で、また、開放性から生まれるものを含めた上でこのテレワークというのは優れたものではないのかということでしょう。

 

しかし、人間は自由を求めていながら自由ということに慣れていません。いきなり大金をもらっても何もできないようにいきなり自由をもらってもそれに対処できないつくりなのでしょう。だから、ある程度拘束されている方が動けるのでは?というのが私の考えですが。