核保有する前とした後とで考えは異なるという理論

フランシスコ・ローマ教皇が来日して、アドリブだったらしいですけど、核保有が抑止力になっていないということを言ったそうです。ここは難しい問題であると思います。私の考えでは核保有する前と後とでその捉え方が変わるのではないかというものなので少し違うのではないかと思ったりします。

 

どういうことかと言いますと、核保有する前では核を保有していないという前提の頭で考えるのでそこが核を持たない方が良いというそれを共通項として群衆心理要素として持てると思うのですが、一旦、核を保有してしまった場合はなくすことはできない。保有することによって抑止力が働くという考えでしかとらえることができないということです。

 

これは銃規制の問題でも同じ効用を発すると思います。アメリカは銃社会ですが、これだけ銃による被害が出る中で銃規制が進まないのもそこが問題になっているのでしょう。日本は銃を保有することができないことが歯止めとなっているので日本側からのスタンスでアメリカを論じることはできないというわけです。

 

ちょっと話しは変わるのですが、今の時代は裕福となりました。さまざまな人がいろいろな者を所有することができる贅沢な時代となり、手に入れられるものがないということになった今、あるかなしかで昔の人と今の人の考えが根底から変わっていると感じます。それも同じことなのではないかと思います。