信長の原理

 

信長の原理

信長の原理

 

 織田信長はこんな人だったのか、とすんなりと腑(ふ)に落ちる内容となっているのが私にはとても面白かった。信長は無神論者では有名ですが、そこに原理を当てはめた。そこに悩みがあった。それが本能寺の変に至ってしまった理由ではないか?ということになるわけですが、そこをついた力作です。

 

働きアリの法則は2割の積極的に働くアリ、6割の日和見で働くアリ、そして2割の全く働かないアリに分かれます。これはパレートの法則をより突っ込んだ割合となりますが、読んでいて信長が本当にそれを発見していたのではないか?と思い込んでしまいました。いや、だからこそ信長の思考の起点となっている部分であり、悩みとなっていると思うからです。

 

この働きアリの法則が人間にも当てはまるという理念のもと自分の組織する部隊、自分の部下たち、または敵対する相手側の組織する部隊、はてはあらゆる組織形態にこれが当てはまると信長は思ったわけです。これは神仏はいないという信長の理論に反する作用となります。信長は本当にいないと思っていたわけで比叡山の焼き討ちなどをしているわけですから。

 

神仏はいないの何等かの作用が働くという矛盾に悩まされる信長に崇高な知的人という側面と信長も人間臭い部分で悩むのだという部分でただの悪逆めいた人物から私たちこっち側の人間に近寄った感を抱きました。特に部下たちと接する場面での信長の内面の思考を読んでいるときは信長を理解してあげたいという気持ちになります。

 

信長は理解されなかったという点で非常に苦しい人生を歩んだ。しかし、同じ理解をする共通点がある人物が何人かいた。そういう人物に対してはかなりの歩み寄りをした。同じ悪逆非道な松永久秀は最後まで助けようとした。しかし、信長は触れてはいけない部分にまでいったために最後まで抵抗して自害した。この触れてはいけない部分とはこの世の原理に対する根幹部分です。

 

また、この理論にいち早く近づいた(理解した)秀吉、そうではなくてもさとい光秀、そして、この理論に関わる部分となってしまう最後の光秀。書けばきりがないのでこの辺にしておきますが、前作の光秀の定理に続いてとても面白かった。私はこれをシリーズ化して次は秀吉、その次は家康と続けてほしいです。