働き方改革としての長時間労働の是正

働き方改革としての長時間労働の是正があげられていますが、社員の解雇を避けるためのインセンティブとしての長時間労働による残業代獲得にあるのであれば生産性の向上は失墜します。失墜しますが、長時間労働が是とされていた時代にはそれ自体が善ともされていたわけで生産性を真面目に考えていたわけではなかったのでしょう。

 

その弊害としてインセンティブである残業「代」は取り除かれ残業だけが残り、目に見えない部分で長時間労働が横行しました。それは長時間労働が目に見えないため公には時間数の削減と生産性向上に貢献したはずです。ですがその裏で従業員の本来の生産性とモチベーションはだだ下がりとなります。給料すらその部分においてもらえないわけですから。

 

目に見える賃金が上がらないどころか目に見えない賃金としての残業代がないとなれば消費に意欲はあがりません。経済が上向かないのは必須のことで企業は結局自分らのところに帰ってくるという始末であります。

 

働き方改革はそれを払拭するものであってほしいですが、そうなっているのでしょうか?