人として尊重されなかったのではなく人として扱われなかった人たち

児童虐待は留まらない。日経新聞の春秋にこんな一文が書かれていました。

 

春秋(平成31年3月16日付日経新聞

虐待された子供などが身を寄せる、児童養護施設の建設資金を支援したNPO法人がある。彼らは最近、暴力をふるう親に、支援プログラムを受講してもらう寄付金を募った。虐待を、「過去に人として尊重されなかった痛みや悲しみを、怒りの形で子供に爆発されている行動」と捉えたのだ。

 人として尊重されなかった人はごまんといる。むしろ、尊重しあえる社会には全くなっていません。タテ社会の弊害です。上には立ててはいるが心の中では立てていない。そうなれば下に対しては優れていれば妬む。

 

とまあこれは「尊重」という言葉に対しての意味合いですが、上の文でいえば「人としての尊重」というよりも「人としての扱い」を受けていなかったためそれが鬱屈して人間性を構築できなかった。そしてそれが自分より「弱い」者へと対象が向いた。これも今の日本社会の弊害を象徴する問題です。

 

そういう扱いを受けたいのに自分は他人に対してそういう扱いをしない。私はそれは嫌だからなるべく誰に対しても平等に接しようとしていますが、そうしない人が身近にもたくさんいます。浸透しきっています。