桐野夏生さんのロンリネスを読みました。

 

ロンリネス

ロンリネス

 

 この本は最近の不倫、浮気問題に対する報道の多さ、キツさ、締め付けの厳しい社会に対するアンチテーゼではないでしょうか?つらつらと読みながら最後の方に出てきた一文にそう思わされました。引用します。

P414

 

暗い路地で、中年の男女が長く立ち話をしていると、よほどいわくありげに見えるのだろう。人がちらちらと有紗と高梨を見ながら、通り過ぎていく。有紗はそのたびに暗い方に顔を背け、まるで罪人のようだと思うのだった。

 芸能人も政治家も、不倫問題で厳しく咎められる世の中だ。もちろん、罪がないとは言えない。

 そう思うのと反転、不倫や浮気に酔う人達はこういう心境の中で逢瀬を重ねるのだろうと生の声が聞こえるような濃厚な内容を読むことができました。なのに孤独(ロンリネス)とは。

 

こういう人たちはこの逢瀬が「生きている」と実感できる唯一のことです。なのに孤独。それは「罪がないとは言えない」という言葉に置き換えられてしまう。しかし、人間のその人たちの本能に至ってはその罪悪感を突き抜けていく。このパワーはこの厳しい社会に対するアンチテーゼに対するパワーにどこまで対抗しうるものなのか興味がわくところです。

 

また罪悪感と書きましたが、背徳感との面でどちらに分配が上がるのか。つまり、罪悪感とは世間一般での罪悪で、背徳感とはより個々人に帰結される倫理観とでも言えばよいでしょうか。

 

このアンチテーゼは罪悪感に対するもので背徳感に対しては一生付き添わないといけない苦しさがあるでしょう。一生付き合わないといけない辛さに関しては本文にも何回かでてきました。そこにアンチテーゼとは別に注意喚起しているように思えました。