特色ある「社会主義」ではなく特色ある「国」

日経新聞(平成31年2月8日付)に「中国の特色ある社会主義」という言葉を取り上げていました。何だろうとネットで調べてみましたところ、以下の意味で推測しておられる方がおられました。

 

www.newsweekjapan.jp

この「特色」二文字によって、「社会主義国家でありながら資本主義国家と同じことをしているではないか」という矛盾に「解答」を与え、かつ「社会主義国家」であることを維持することにした。つまり「中国共産党による一党支配体制だけは維持して、資本主義国家よりも資本主義的に金儲けをする」ことに正当性を与えたのである。それからというもの人民は全て「銭に向かって進み始めた」!

 

社会主義ではない国というのは見てわかりますが、社会主義というのを残したい意味が「中国共産党による一党支配体制を維持したい」ためであるからなのでしょう。それを社会主義という言葉で濁しているだけです。

社会主義国家は、平易な言葉でざっくり表現するなら、毛沢東が謳っていたように「金儲けをしない、誰もが平等な(貧乏だけど平等な)社会」ということになる。

「誰もが平等な(貧乏だけど平等な)社会」の構築など考えていないはずです。金儲けをさせる。中国共産党による一党支配をする。そのためには何だってする。企業にも国による監視をしスパイ活動をさせる。国民もあらゆる監視をする。中国はそこがなければもっと心に豊かさを与えられるような気がするのに。

 

この「特色ある」というのが私には中国が「特色ある」国というように受け止めましたが。