体操協会のパワハラ問題で感じたのは・・・

体操協会のパワハラ問題で感じたのは小さな悪の裏に隠された大きな悪に立ち向かう矮小な結晶というものでしょうか。結晶に必要なのは小さな悪で不純物を取り除いた時にはもう削るところがないほどに美しく輝くようになったダイヤモンドになるが、大きな悪によって結晶は削られるどころか埋もれていくことになりそうです。

 

ここでスポーツとはなぜやるのか?という根本原因に立ち返ってみたくなります。組織ができ、組織が独り歩きし、その根本原因はどこかに置き去りにされ、本末転倒に成り下がっていく。真摯に取り組んでいるアスリートの方は段々と歪められ、原石だったはずが原石ではなかったかのような扱いを受け、埋もれていく。

 

利権の絡み合いはとどのつまり欲の塊がうじゃうじゃする中で原石は埋もれていくどころかつぶされていくことになります。それは日大アメフトの問題を見ていても誰もがそう思ったことでしょう。

 

時代は変わっているけど旧態依然の体質は全く変わらない。解決なんてあるのだろうか?