障害者として認めれてもらえることを願うのかそうでないのか。

障害者と認めてもらえれば障害者としての遇し方をしてもらえる。障害者手帳とはそういうものでしょう。遇してもらいたいという思いと私は障害者ではないという思いが拮抗する人もいる。そこを国に認定されてしまったら私は障害者だという目で他人に見られてしまう。それも嫌だ。そこの機微はなかなか難しいところである。

 

障害者雇用率が水増しされていた問題で拡大解釈され障害者手帳はないもののそれに準ずる者として参入されていたのはどう考えれば良いのでしょうか?上に書いたことの狭間で苦しむ人たちに救済手段を設けたというのか。それとも単なる行政の怠慢だったのか。

 

私は高齢者ではない、といいはるご高齢の人が多くなったのは高齢化社会では仕方ないこととはいえ国がその年の線引きをしたことで気持ちは高齢者ではなくても高齢者扱いになるのを高齢者はどう思っておられるのか?高齢者になったことで割引を受けるという恩恵を受けつつも高齢者扱いをするなと憤るのは何だか矛盾しているようにも思えます。

 

自分はまだまだ若く見られたいという思いから、「何歳に見える?」という質問をするのも系統は同じことか。年相応に生きるとは気楽で良い反面、難しいことだなと思う。