24時間マラソンが受けなくなってきた理由

24時間テレビでのマラソンが受けなくなってきたのはスポ根が受け入れられない時代に突入したということなのでしょう。苦しい時間をしかも長時間かけて我慢を強いられるのが是とされていた昔はこれがカッコいい象徴だったのかもしれません。

 

しかし、いろいろな誤ったやり方(水分を取らなかったり、怒鳴るだけ怒鳴ったり、暴力という名のしつけをほどこしたり)が覆されている今日、それに辟易している人たちがマイノリティーからマジョリティーに様変わりしてきた、そういうことなのではないでしょうか?

 

毎回、マラソンをされる人を見るにつけ、何だか白羽の矢が立ってしまったかのように思う。当人は寝耳に水とのことでしょうけど、それはマラソンをする人たちに対して冒涜にはならないのだろうか。

 

冒涜とはお涙頂戴に使われているマラソンが本来的にはもっと本気でマラソンをしている人たちにとっては神聖なものなのにという意味です。そんな感じを受けてしまいます。