木村拓哉さんと二宮和也さん主演の映画「検察側の罪人」を見てきました。

木村拓哉さんと二宮和也さん主演の映画「検察側の罪人」を見てきました。木村さん演じる最上はストーリーという言葉の重要性を語っており、これがよく行われる冤罪への道筋なんだろうと思いました。また、朝日新聞も同じ傾向があったのを慰安婦問題の時に取り上げられ、問題になったのを思い出します。事実が歪められても良いのか?

 

そこに敢然と立ち向かった役を演じたのが二宮さんでした。一度は憧れる最上さんのために前半は自分に嘘をつく形になります。その象徴としての松倉との取り調べは私の中で一番の見どころではなかったかと思います。特に松倉は口でパッ!てやる相手を怒らせる行為をしているのですが、それを怒り狂った二宮が拷問している時にやってみせたのは見ものでした。

 

この口でパッ!とやる行為は福山雅治主演映画の「マンハント」に一番初めの方で登場してすぐに捕まった犯人Aの斎藤工もやっていたのですが、ここでは少し切れ者のイメージでしたが、今回の松倉のは相手を苛立たせる要素があるもののそれを意図的にというより一種の癖のように映ったです。だからこそ、それをやり返されてさぞ癖をまねされたという相手を苛立たせる要素があったのではないかと。仮にこれがその斎藤工の役の相手だったら効果なかったと思いますので。

 

あと気になったのは昨日、テレビで木村拓哉さんの歩き方の特徴が話しに出ていたのでそれをまさにどの歩く時でも木村さんは映画の演技中その歩き方をしていたのでそれが気になって仕方がなかったです。