女性は産む機械といった政治家がいた。

昔、「女性は産む機械」と発言した政治家がいた。女性を生産性でしか見ない人だったのだろう。産めよ増やせよお国のためにとどんどん増えていった人口増加を抑える必要ができた時にはアメリカやブラジルに移民させ、ブラジルでは過酷な労働と共に理想郷と思っていった先では地獄とばかりに苦しんだ人たちがたくさんいるはずである。

 

人口減少社会に突入し、逆転の向きになった今日では次は産めということですか?旧優生保護法で障害者に対して子供を産むなと強制手術をした記憶などどこ吹く風でまた生産性の問題が浮上したのは杉田議員のLGBTは子供を産まないから生産性がないという発言である。国民を一体どこまで振り回せば気がすむのだろう。

 

経済に心理的なものだ要因としてあるのであれば消費行動が進まないのも経済ありきという心理的な負担があるからかもしれない。それと同じで価値観に強制的に覆われたこの国で生産性の子供を産むということが強いられるならもうそんなことなど考えたくもない、と思う人が増える気がする。悪循環というやつであろう。