日本という軸に驕りはないか?

外国人の受け入れ態勢を政府は緩和している。人口減少による少子化対策、労働力不足による労働者獲得対策、訪日観光客による経済効果対策を考えてのことであろうが、何が問題なのだろうか?

 

グローバルに人材を得るということであれば申し分ない。が、単純労働者を増やすだけでは本来の目的から遠ざかってしまった派遣社員の問題と同じ穴の狢(むじな)である。

 

高度な技術を持つ人を派遣するのが本来の目的であった派遣という形態は今日では正社員という金のかかる人件費を減らすとっておきの方策として企業に広く用いられてきた。低賃金の上にいつでも切ることができるという点でも外国人労働者との差異が感じられない。

 

では出生率の問題はどうだろうか?外国人が流入してこなければ出生率が上がることはないだろう。が、移民を増やせば出生率は解消するだろうが、そんな簡単な問題ではないから移民を受け入れないのだろう。

 

日本は今まで宗教でも文化でも何でも受け入れてきた。だからこれからも大丈夫だろうというのは尚早である。それは今まで培ってきた日本というのがある。変えても良いものと変えても良くないものがあるということ。それは維持して変えるべきところは変えてきたということではないか?

 

カジノ法案であったり、東京五輪であったりもそうであるが、外国人におもねるのがおもてなしではないということは頭におかなければならないだろう。そもそも緩和さえすれば外国人が来てくれると考えていること自体が驕りであり、日本という軸を保たないことには来てくれるものも来ず、たとえ来たとしても日本にはそまらずそっぽを向くだけかもしれない。