道徳の教科化を考える。

京都新聞の社説(平成30年4月4日付)の道徳の教科化でこんなことが書かれていました。

 

教科化は「戦後レジームからの脱却」を目指す安部政権の強い意向で進められてきた。第一次政権では中教審が「心の中を評価することになり、教科になじまない」として見送られたが、2011年の大津市の中2男子いじめ自殺を契機に導入が決まった。

 

教科化に際して文科省は、物語の登場人物の気持ちを追うだけの「読み物道徳」から脱却しら「考え、議論する道徳」への転換を打ち出している。

 

 

昨日も小学生6年の女の子がいじめを受け、自殺したことでニュースになっていました。いじめ対策は急がれていますが、道徳の「教科化」がそれに当たるのでしょうか?対策を急ぐあまり形だけにこだわっていないでしょうか?

 

考え、議論するのはこれに限らず、今の知識偏重型からの脱却からの路線と一致していますが、これと同じく前にならえであれば結局、上の人たちが脱却出来ていないことになります。

 

評価をせずに考え、議論する。だから、それに評価を与えることは出来ない。ただし、道徳の授業の内容は充実しないと。評価に値するから、その後の進路にも影響するならその場しのぎになりかねません。