権利意識と義務意識の割合の多寡

トランプ大統領は使える核ということで核の小型化の使用を想定しているそう。「便利」という世の中はここまで来たかと私は思ってしまいました。ここまでの歴史がある意味「便利さ」の追求だったわけで、コンビニエンスというのが「便利」の英語であることから全国数多にあるコンビニは「便利」の固まりが散らばっていると想像します。

 

誰もがネッとにつなげ、スマホでカメラからパソコンから音楽からもちろん電話から何でも便利に一つに収まりました。企業も規制緩和で何でもかんでも参入し、どこにいってもそれをやっていそうと思ってしまう世の中です。

 

SNSでは政府や大統領さえ簡単につぶやける時代になり、便利の権化と化しました。便利が急速に普及するのと裏腹に私たちはいろいろな何かを失っている。人それぞれ思い浮かぶかと思いますが、一つには「忍耐力」があげられるかもしれません。

 

この手軽さは権利意識をより一層高め、義務的意識を低下させる。この権利意識と義務意識の多寡の割合はどちらが多い方が良いとかは分かりませんが、あまりにも権利意識の方が強い気がします。