知りたいのは事実ではない、感情だ。

日本の輸出規制強化やホワイト国指定取り消しに対する韓国の反応は経済面で「報復に出た」と反論しているようです。私にはこれを聞いてなおさら友好国ではないなと思いました。自分のことは棚にあげて日本に事実とは異なることで攻め募る。こういうのは脅迫と同じです。

 

そもそも「報復」ではなく優遇措置をなくしただけです。なぜその事実を理解しないのか。それなら1965年に韓国との間で結ばれた日韓請求権協定の事実を反故にするのか。

 

では韓国の立場に立ったとして、日本はアメリカと同じことをしようとしている。しかし、日本はアメリカと違って大国ではない。日本ごときが何をするつもりか?いろいろと日本のために韓国はしてきているのに私たちを裏切るつもりか。慰安婦問題では許せない、レーター照射問題でも向こうの勘違いだ、徴用工問題でも強制労働問題を払しょくできていないではないか。とそんなところでしょうか。

 

知りたいのは事実ではない、感情だ。忖度国と感情国。どちらに分配があがるのか。

 

恩を仇で返すかんぽ生命

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かんぽ生命の保険料二重払いの問題ですが、虚偽の説明をしていないので法令に抵触しないという言い分があるようです。こういう信頼取引の仕事は法令に抵触するかしないかは罰則を受けるか受けないかの問題であって信頼がなければ仕事が成り立ちません。

 

ぶっちゃけ不利益となる事実と分かっているのに告げなかったのは相手が気づかないから悪いという問題ではなく気づかなければ良いというところに付け込んだということですよ。そして、そこに付け込んでも分からないように目くらましできる高齢者にしぼって。

 

こういうのを「恩をあだで返す」というのでしょう。

 

一転視点をかえて、投資信託と同じように生命保険も同じ道をたどるのでしょうか。毎月分散型投資信託が減る一方で、生命保険の加入も減っていくかもしれない。それがかんぽ生命のせいでかんぽ生命だけが敬遠されるのではなく生命保険自体について。

 

かんぽ生命への出資比率は89%から64%にするそうですが、まだまだこれだけあります。そう考えると、責任の所在はどこへいくのやら。

 

 

 

石橋をたたいて渡る気持ちはあったのか?

セブンペイで不正が行われてしまいました。私はこの件に関して思ったのは早期に発見できて良かったということです。こういう不正利用をする輩はたくさんいる。今回のは中国籍の男のようですが、それも含めて中国人と向き合う良い機会になりました。

 

日経新聞では社説で「セブンペイ不正利用問題から学ぶこと(令和元年7月10日付け)と題して書かれていますが、あまり的を得ません。私は今回の件で学ぶことはこれから始まるキャッシュレス社会に対して「石橋をたたいて渡る気持ちはあったのか?」だと思います。

 

セブン&アイ・ホールディングスは人手不足問題も重なり、拙速に拙速過ぎた。コンビニ業界でトップを走るがゆえに後れを取り戻さないといけないと躍起になってしまった。なぜショートメッセージを送って本人確認する「2段階認証」を導入せず、利用者本人でなくてもパスワードを容易に再設定できる状態にしていたか?を追求するのもナンセンスです。

 

個人情報流出問題はフェイスブックであれだけ取り上げられたのにこのざまというのは。フェイスブックの二の舞になってしまうかもしれません。フェイスブックは仮想通貨(今は暗号資産ですか)のリブラで挽回をきたそうとしています。セブンはどう出るでしょうか?

ヤフーが「信用スコア」を始めたそうですが・・・

ヤフーが「信用スコア」を始めたそうです。始めたは良いけど、評判は悪いそうです。ソフトバンク子会社であるヤフーが「信用スコア」を始めたのもやはりソフトバンクが関連しているわけです。

 

この「信用スコア」は中国のアリババ集団の「ゴマ信用」が基になっているわけですが、ソフトバンクグループが出資するアリババから構想を得たというところです。インドのペイティーエムに出資するソフトバンクグループから構想を得た「PayPay(ペイペイ)」の第2弾というような感じでしょうか。

 

この「信用スコア」のことを考えると、私は身分制の破壊が頭に浮かびあがります。身分という特権階級をこの信用というもので評価する。この評価があれば誰であっても上位に立てる。そういう社会こそ平等ということを実現できる。

 

日本の雇用環境も年功序列型賃金や終身雇用というものが崩れてきて評価制度になってきたのもそれと似通ったものを感じます。これは一面良い部分があります。が、無条件に良いとは言えません。

 

何が問題かというと評価至上主義に陥ってしまうからです。評価する側、評価する項目、これらによって度合いが天と地ほどに変わり、そこに”身分によるものでない点で”信用というものに不信感が出てしまいます。

 

人というのはそんな簡単な数値で測れるわけではありません。数値で測れないという点で人というものは構成されているのが面白いし、数値化で抑え込めてしまうとロボットといっしょになります。いわば人のロボット化です。

 

今はAIを使ってロボットの人化を目指しているかと思いますが、それと同時に人のロボット化へと向かう社会に何が残るのでしょうか?私には空恐ろしい。