カフェイン中毒というものに違和感を。

私もコーヒーは好きですが、1日に3杯でも飲めれば良い方、まあせいぜい一日1杯か2杯ぐらいだろうなという感じです。それが少し前に健康に良いのは1日5杯ぐらいコーヒーを飲むということがネットで記事に出ていました。真偽はよく分からないのですが、中々そんなに飲めないだろうという思いがありました。

 

ではさっきテレビでカフェイン中毒でなくなる人が続出しているという特集をしていました。一体どれだけ接種していたのでしょうか?その人らは錠剤をかなり飲んだりしているようでしたが、睡眠を取らないためということであれば世の中の世相を表している気がします。昔のモーレツ社員ではありませんが、頑張らねばならないと、って?

 

コーヒーでいえば1、2時間に8杯以上を飲んだらカフェイン過剰摂取に当たるそうです。そんなの飲むのだとしたらせいぜい1杯か2杯ですので8杯も飲むことは考えられません。

 

食べ物でも何でも過剰に摂取したら毒なのは分かりようものですが、今の人はその感覚が分からないということの証左かもしれません。ましてや錠剤となればより分からなくなっても仕方ありません。

 

コーヒーの1杯。それだけを楽しむ。そこにわびさびを感じます。テレビでは大食いの方が大量なまでに時間もくぎって食されます。食品ロスの問題も別に取り上げたいですが、何か品のなさを感じてしまう。もうちょっと品というものを考えましょうよと思いますけど。

スターバックスに行って思ったこと。

さっき、近くのスターバックスに行ってきたのですが、新メニューが出ていましたので頼んできました。それは別ブログに載せておきました。

チョコレートケーキトップフラペチーノwith抹茶ショット : OREO's cafe

 

そこで思ったのはスターバックスはコーヒーを飲むところからドリンクを飲むところに変わったのだろうなと。それはスターバックス自身が昔、あの緑色の人魚の絵にもコーヒーと英語で書かれていたのが取っ払われたのでもわかるようにコーヒーを飲むところからの脱却をしたということなのでしょう。

 

フラペチーノ系が特に新メニューで多いですが、ベースはミルクでそれにそれぞれのトッピングをあつらっているという感じでした。若者向けではあるのでしょうね。

最近、「無意識」というものに興味が湧いてきました。

最近、「無意識」というものに興味が湧いてきました。この「無意識」なんですが、そこに無限の可能性が秘められている気がしますよね?最近の研究では私たちが普段行っている行動は「私」という「意識」が行動を起こしていると私たちは皆思っていますが、実は私たちが意識する前に脳が指示を出しているそうです。で、「私という意識」はそれを後追いで鏡のように見て、そのように動いているというのを動かしていると錯覚しているだけらしいのです。言っている意味が分かりますでしょうか?

 

そういうことが書かれた小説というのが大分前に又吉さんとかが紹介していた中村文則さんの小説「教団X」に書かれてあり、もう一度読みたくなり購入して今読んでいる最中です。

娘は最近意思表示が強くなりましたよ。

娘は最近意思表示が強くなったのか昨日はかなり奇声をあげるような声を何度も出していました。成長の一過程でしょうかね?今日は祖父母にテレビ番組「いないいないばあっ!」のウータンとワンワンのぬいぐるみ、そして、スマホタイプのおもちゃを買ってもらいました。

 

娘は喜んでいましたが、このウータンのぬいぐるみは私が昔、姪っ子に勝ったことがあるそうです。小さい頃の姪っ子がそのウータンを持っている写真を最近見たのですが、その時はそのキャラクター自体を知らないのに買っていたなんて知らなかった。おそらくそれが好きらしいとかなんとか聞いたのでしょうね。